海王星。三本の薔薇。
他の全ては燃えてしまえば良いのだと、青年は思い詰めるが、残った薔薇は三本。
貴方の愛はこの世に三つ。貴方が捨てようとしても、貴方の意思で燃えはしない。
本作、海王星は愛の話。
猛夫と魔子と彌平の愛の話。
猛夫の独白で最も多弁になるのが魔子ではなく父彌平に対する思い出話である点が男女恋愛を全面にした作品ではないと読み取ったキーポイントだった。
猛夫と魔子、彌平と魔子の愛は行動、つまり時間軸に沿って描かれているが猛夫と彌平の愛はそれぞれの独白や歌で示され、成熟した思いの形になっているのが感ぜられる。
更に魔子は自分は自分である事を強く発信しており、自分の決断が遅かった。自分が可哀想だと自ら言う。自分主体の人間なんですね。
変わって、猛夫と彌平はお互いを「俺が作った」「作られた」と意識していて、お互い支え合い、依存して生きている。
だから無理心中は猛夫と彌平によって完結するんです。
猛夫は親の殻を破って行くのを決めていたので作中では魔子との愛に殉ずるわけですが、シナリオは彌平との愛に溺れて死なせる。矛盾です。
愛する人の内、どちらかしか選べない状況の猛夫に対し、ある意味どちらも取って、どちらもその瞬間失う、とても酷な、それでいて優しいシナリオです。
ロマンチックですね。僕は好きです。
毒が出た時点で猛夫が飲む未来しか見えないと落ち込みましたが、優しいものだから裏切られましたよ。途中のフェイント含めてドギマギした。
何しろ出港する彌平に対して今生の別れを告げてますからね。死ぬにしても、殺すにしても、駆け落ちするにしても二度と父には会えない決意を見せているのでドキドキしっぱなしです。
毒入りだったのを猛夫は知っていたのか否か、はどちらも正解だと思うんですよね。客に任せてる意図を感じざる負えないじゃないですか。
だから猛夫は難しい役です。魔子と彌平への愛を身が半分に裂けるくらい表現しなきゃならない。
僕はどちらも同じだけ受け取ったので、そこでどちらかを決断する言い方は出来ないです。
もう一つこの作品の主題になる「運命」について。
魔子は自分主体の人間として描かれており、神なんて認識しない。神に反抗をする暇すらない程に。
生き残るのは運命に見向きもしないからですね。
対応する那美は否定と言う強烈な関心を向けており、故に狂気の運命に翻弄される。
運命に関しては女性陣に引かれたテーマであるとも思います。
象徴的なのは8回結婚したアンナ。正に運命に翻弄されたボロボロな歌を歌います。
あるいはそばかす。彼女は運命を利用して運命を壊したがる。そして運命を欲する。
それで欲しいものは手に入らないのだから、やはり運命は否定するものとして描かれているのではなかろうか。何かあったとしても、自分で乗り越えて行くしかないんだ。
魔子もアンナも一晩泣いて次を目指せるんです。シナリオの微かな希望がここにある。
あと色々な感想。
猛夫
・「21歳」って答えた時の声、お聞きになりましたか。まだ若いのを恥じらう様な、まるで僕は君に釣り合う男ですか?とでも言いたげな声。そしてその後、父の婚約者であるのを再認識してとても鬱になる猛夫くん21歳。声のトーンの下がり方よ。若いね。頑張れ。
僕はここで一気に猛夫が好きになってしまったんですよ。
・魔子とのハーモニーに歌上手いなあと素直に感心のターン。伸びやかで牧歌的なまろい歌声が心地良かった。
・デュエットを頼まれて魔子への気持ちをオープンにして良いのか躊躇ってた所から歌い出してスタオベの流れ、僕も心の中でスタオベした。吹っ切れた情熱的な歌でした。
・薔薇を抱えて絶叫する猛夫。胸を掻きむしりたくなる痛々しい姿にただ呆然と立ち尽くしてしまいました。差し伸べる手も出ない。一番苦しかったな。
遠くてあんまり分からなかったんですけど、泣いてたと思う。
あと山田さんはどちらかと言うとフィルム俳優なので足元を観たいなと事前から思っていて、カメラアングルとして足元を映すのは特殊ですから見まくる機会だと。
それで期待してたら思いの外、足音まで響くんですよね。足音聞いちゃった!と謎の興奮をしました。
猛夫は作中ずっと自分の気持ちに揺れ動いている人物です。歩幅が小さい時は特に迷っているシーンだったと全体的な印象があり、人との距離を詰める時に右足を後から半歩寄せて位置を定めるきらいがありましたね。少し引き摺るような感じで、臆病な人なのかなあとか、戸惑ってるのかなあとか、見てました。
魔子
記号的な魔性の女、ファムファタール。猛夫は彼女に女という女を見出したに違いない。
しなやかな動きが魅力的で僕も好きになっちゃいそうで怖かった。
子守唄を歌いながら登場する魔子の説得力たるや、こんなの落ちますよ。父の死に嘆いている青年が女の歌声で驚嘆の安寧を得るんですよ。僕なら落ちます。
逆に魔子は猛夫の何に惹かれたのか分からなかったな。自分の肉体を求めない所だろうか。彌平は魔子の身体を褒めますから、逆説で。
自分を作れるのは自分だけ。これは劇が作られた時代を考えると先進的な台詞ですよね。とても靭い女性像をファムファタールに与えるのが、いやファムファタールだからこそ与えたのかもしれないです。この作品女の方が意志が強い。男が囚われがちとも。
しかし彼女の魅力は尽きないです。魔性ですよ。
彌平
彼の存在はホテルから出られず鬱屈した他の登場人物とは違って晴れ晴れしていて、観ていてリラックス出来ました。
500円で舞台の端から端まで叫びながら駆け抜けるのは流石に笑いが止められなかった。
ユースケさんの持つ力なんですかね?力を抜かしてくれるんです。だから笑ってしまう。
でも締める時は締めます。魔子の取り合いで怒鳴る所は二人とも素でビクッとなってるのかの様に見えました。怖いので僕もビクッとなりました。
同じ言葉を2回繰り返す事が多い人物なので思い込む質なのが分かります。こうに違いない。こうに違いないんだ。
その思い込んだ殻に猛夫を閉じ込めていたとも取れますね。それが育てて来たと言う事。作ったと言う事。
一番鬱屈から逃れていながら、一番縛り上げられている滑稽な人物でした。
熊沢太郎
みんな大好き?三太郎の一番太っちょの太郎が個人的に大変好きです。ステップが華麗でコミカルな動きが可愛いんです。
突然のミュージカル好きよ。
熊沢太郎は出て来た瞬間から道化役だと認識したので安心して面白がれましたね。しんどいお話なので明るくしてくれる存在に救われながら進行してもらわないと保たない。
もちろん三太郎はただの道化ではなく、弱味につけ込んで商売したり、有名人をからかい煽てみたり毒を滲ませているのが味わい深い。
登場人物全員に言えますが、矛盾を内包しているのが今作の面白ポイントだな、なんて。
そばかす
見事にキュートな悪魔でしたよね。話し方や動きがピシピシと芝居がかっていて目が離せない。
大仰に芝居をやってくれるので陰湿な感じがないんです。この塩梅が良かった。
やらかす時は楽しそうなのに最後はちっとも楽しくなさそうで、反抗心だけの子なんですね。
同時に、彼女の嫌いな自分以外の幸せな人間を消し切れなかった意味にもなります。彼女がいくら悪知恵を働かせても手の届かない所に愛は行ってしまった。
啞の下男
音楽劇は歌で心を表現する訳なので、歌えないこの役は役そのものが劇に対するアンチテーゼですよね。
神は居るだなんて十字を切って、可笑しな話です。神は歌、音楽なのに。
志磨さんにスポットが当たったシーンでこの人がこの箱庭の神だとは感じるんですが、
神なんてこの作品には居ない、って事になるんだろうなと僕は彼を観て思いましたよ。
一先ず、今回はこのくらいで締める。
12月21日14:00開演
事前情報一切入れずに初見で観た感想と見解。
これから少しづつ情報を仕入れて咀嚼していきたい。深く考えられる素晴らしい劇でした。